大chanの日記的な何か。
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12/11(木)の日記。
--- ぼのぼのを読んでいるんだが、 スナドリネコさんが名言吐きすぎて困っている。 大まかにこんな感じ。 チンピラ熊「俺がお前になれるわけが無いだろう。お前は俺になれるってのか?」 スナドリネコ「なれるよ。お前より悪人にもなれる。」 クマの大将「俺にもなれるのか?」 スナドリネコ「なれるさ。お前より善人にもなれる。」 クマの大将「何故なれると言い切れる。」 スナドリネコ「何故なれるかは問題じゃないよ。何故なれないかが問題なんだ。」 チンピラ熊「自分が自分であるということに、大した意味は無いというのか?」 スナドリネコ「そうだ。」 スナドリネコさん格好良すぎだ。。。 人生の師の一人と仰いでも良いくらい。 自分が自分で思う「自分」ってのは、 固定観念での「自分」という意味なのではないかな。 自分は自分以外の何者にもなれない、という考えは、 自分の限界を決めているだけだ。 自分が「今の自分」である必要は無い。 「新しい自分」もまた自分であるわけなのだから。 これに対して、ガンダムZZのプル戦死のシーンでは、、、 大まかにこんな感じ。 プルツー「えぇい!不愉快なヤツめ!!!」 プル「不愉快なのは当たり前だわ!あなたは私、私はあなたなのよ!」 プルツー「何?」 プル「人間はね、自分で自分を見るのが一番不愉快なの。でも、、、自分をやめることなんてできないのよっ!!!」 プル。。。(;_;) プルにとってプルツーは多分、自分の中の嫌悪している自分という存在だったんだろうな。 プルは自分というものを見据えて立ち向かったんだな。 自分をやめることが出来なければ、自分のまま変わるしかない。 自己嫌悪という言葉があるように、 自分の中に嫌悪する部分ってのがある。 まぁ、嫌悪まで行かなくても、良いとは思えない部分がある。 それを「自分」だと認めることは、自分を客観的に見つめる上で必要だと思うが、 諦めという意味で認めてしまうと、 それは「変わることのできない自分の限界」ということになる、 ってことなんじゃないかね。 「俺って○○なんだよねー。」とか言っている人間は、 一見、冷静に自己分析が出来ているように見えるが、 自分の限界を決めているだけの人も少なくないと思う。 (俺は○○だから"仕方がない"とか言う人間はまずこの類だと思っている。) 自己嫌悪する部分を認めるということの後には、 「それを仕方が無いと思って引きずっていく」か、 「それは嫌なので打開していく」かの二択だ。 人は変わっていくものだろ?シャア。(by アムロ) PR
無題
博「今のオレと同じ気持ちになるはずだろ?」
寅「冗談言うな!オレがおまえと同じ気持ちになってたまるか!」 博「なぜだ?」 寅「オレとおまえは別の人間だ、早え話がオレが芋食えばてめぇの尻からプッと屁が出るのか?」 博「………」 寅「ざまあみろ、人間理屈だけゃ動かねーんだ、バカ」 フーテンの寅さんもどうぞ宜しくお願いします。
Re:無題
寅さん。。。
なるほどそうきたか。。。 実は寅さん、ロクに通ってないんですよね。(世代的に?) 日本人として、やはり通る道っすかね。 |
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プロフィール
HN:
大chan
年齢:
43
HP:
性別:
男性
誕生日:
1981/01/30
職業:
プログラマー
趣味:
音楽、ラーメン二郎
自己紹介:
参加したバンド(サポート含む)
・NIHILISM ・Mis Understanding Man ・Wednesday Babee Sit ・シャーン系 ・肉 ・ヘルパンダ ・オオタニT (オータニT) ・タジマ&大chan ・けぶりかす ・狂武士
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